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カロチャの刺繍は
人々の歩みとともに。

カロチャ刺繍は白一色から始まった
―カロチャ刺繍の歴史と変遷―Historical change in Kalocsa

実はもともと、カロチャ刺繍はカラフルではなく、はじまりは白一色。
シーツや枕カバー、テーブルクロスなどに、白のシンプルなカットワークの刺繍を施すのが一般的でした。

では、どのような変遷を経て今のようなカラフルなカロチャ刺繍が生まれたのでしょう?

原点はシンプルだった
カロチャ刺繍Origin

白一色が主流だったカロチャ刺繍も、次第に色に変化を加えられはじめます。赤や青の刺繍、また黒の刺繍もあらわれ、こちらは女性たちが自分の持ち物を美しく飾り付けるために刺されていたようですが、いずれも今のような様々な色を用いた刺繍ではありませんでした。

なぜなら、昔は糸を染める技術もまだ未発達で、色落ちのしないカラフルな糸は手に入れられなかったのです。

博物館の壁に描かれた彩り鮮やかなカロチャのデザイン

赤と黒の刺繍のみで彩られた古いカロチャ刺繍

壁に描かれた色とりどりの花の絵と
シンプルなカットワーク刺繍のカーテン
(カロチャ民俗博物館)

赤と黒のみの糸で刺された古いカロチャの刺繍

カロチャやカロチャ近郊の村でのこの刺繍文化が、民芸として価値を持ち始めたのは、19世紀中ごろ。その頃にはカロチャ近郊に住む女性たちが、自分たちの持ち物を飾るためではなく、仕事として刺繍を請け負うようになります。

刺繍糸の発達、
そして現在のカロチャ刺繍へColor

20世紀に入った頃には染めの技術が向上し、またハンガリーの南東部のナジアタードという街に大規模な製糸工場が作られます。そこから色落ちのない刺繍糸が普及し始めます。
色落ちせず、様々なカラーが楽しめるようになった刺繍糸は、もちろんカロチャ刺繍にも使用されるようになります。

こうして第一次大戦後の辺りから、カロチャ刺繍はカラフルなものに変わって行くのです。

カロチャの民俗博物館に飾られたカロチャ刺繍

民俗博物館に飾られたカラフルなカロチャ刺繍

カロチャ刺繍と人々の装い
~カロチャ刺繍をもっと深く知る~

カラフルでデコラティヴな、カロチャの刺繍。
この地方に住む人たちは、どういうものにこの刺繍を施していたのでしょう?

現在一般的に知られているカラフルなカロチャ刺繍は、文化的には、民族衣装のブラウスや、スカートの上から身につけるエプロンに使われていました。普段着ではなく、教会への礼拝やお祭りの時など、特別な機会に身につけていたようです。

日本の着物文化にも似た カロチャの衣装事情

刺繍の色柄は、年齢やステータスによって使い分ける文化がありました。
カロチャ刺繍として最も有名な、赤や黄色の明るく派手なデザインは、若い女性が着るものでした。日本でいう振袖のような位置づけで身につけられていたようです。

その中でも特に明るく派手で、花が大きくたくさん描かれたものは、花嫁や新婚の女性が身につけていました。村や街対抗のミスコンテストなどもこの衣装を身につけて行われていたようです。
その際にはこの地方の若く美しい娘さんたちが、こぞって色とりどりの刺繍をあしらった衣装に身を包んでいたのです。

しかし30歳を過ぎたら、派手なものは身につけられません。歳をとると、だんだん派手な柄から地味なものへ、色も明るい色から落ち着いた色へと変わっていくのです。

なんだか日本の着物文化と通じるものがありますね。

カロチャ刺繍が施されたブラウスとエプロン

カラフルな花の刺繍がたっぷり施された
ブラウスとエプロン

「悲しい」カロチャ刺繍とは?

現在よく見かけるようになった、紫を基調とした色のカロチャ刺繍。市場などでもよく見る色柄ですが、これらはどういう意味を持っていたのでしょう?

実は、この紫のカロチャ刺繍は、元来「悲しい柄」と呼ばれ、略式の喪服として身につけられていたもののようです。
現在ではお店で多く取り扱われている色柄なので、その意外な由来に驚く人も多いのではないでしょうか。

悲しい色柄、紫色を基調としているカロチャ刺繍の写真

“悲しい色柄”と呼ばれる
紫を基調としたカロチャ刺繍

このように、現在ではただの色違いのもののように取り扱われている、様々な色柄のカロチャ刺繍ですが、実はカロチャやカロチャ近郊の地域に伝わる文化的な背景があって、現在のバリエーションがあるのです。

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